子は鎹(かすがい)の意味
子は鎹(こはかすがい)
子供は夫婦の仲を繋ぎ止めてくれるものだというたとえ。
鎹(かすがい)とは、材木と材木を繋ぎ止めるために打ち込む両端の曲がった大きな釘のこと。
インターネットで調べた簡単な解説です。
とまと(私)はこの言葉の意味を完全に勘違いしていました。そもそも、“かす貝”ってどんな貝?と思っていたから全くの勘違い。
冒頭の意味を知ってからの解釈も“子供にとって両親が必要だから離婚しないだけよ”という具合に、とても負のイメージを持っていました。
正直、あまり好きではなかった言葉。
“子供が居なかったら離婚”
捉えかたがひねくれていますね(笑)とまとの両親は小学生の時に離婚。夫婦や家族というものが何なのかってよく悩んだ昔。そんな私の道のりがこの言葉をそんな風に捉えた原因だったかもしれないな。
結論からお話ししますと…今のとまとはこう考えるのです。
子は鎹(かすがい)
結婚し、子供を授かる。子供の成長とともに、両親も成長する。
様々な壁にぶつかりながら、夫婦ふたり、家族皆で協力して皆の幸せを掴んでいこうと考えられるようになる。どうすれば家族皆が幸せで居られるのかと考えられるようになる。
子供を授かったことによって出てきた多くの壁を乗り越え、家族の絆が深まっていく事。それこそが鎹と表現される由縁。
育児は想像していたよりも遥かに大変で、色々な壁にぶつかります。夫婦喧嘩になることも沢山あります。この経験を重ねることで、夫婦のありかたが少しずつ変化します。どのように変化するのかは人それぞれでしょう。
とまとの場合はこんな風に…
限られた時間。些細なことでお互いにののしりあうことが如何に愚かなことか知る。温かい家庭を作り、家族が幸せに暮らすために自分がどうすればいいのか、役割を考える。相手よりも自分が頑張っているとか、自分の役割が多く偏っていていて不公平だとか、自分だけ辛い想いをしているとか…相手と比べて、または他者と比べて卑屈になっていた自分に気づく。他の家庭に惑わされず、家族で話し合い、自分達の形を作っていきたいと考える。
そして、自分がいる場所は他の誰でもない、自分で選んだ場所だと知る。
結婚する前から喧嘩が多かったとまとととーちゃん(夫)。結婚してからも相変わらず同じようなことで喧嘩をして、離婚するだの出で行けだのと感情のままに言い放つ。内容はお金の使い方のことだったり、態度だったり、家事の役割分担のことだったり、覚えてもいないような些細なことだったり。でーたん(娘)を妊娠してからは悪阻にも勝る幸せ気分で、少し落ちつき、そんなことが少なくなったように思う。
出産後、数ヵ月は睡眠不足や慣れない育児へのストレスを抱え必死で毎日を過ごすだけ。1年くらい経つとそれまでのストレスを爆発させるかのように、喧嘩が増えてきた。結婚して他人と暮らす難しさを知ったが、育児をしていて、自分のペースを保てない事が極度のストレスになると知った。
どうしてこんなに大変なことをわかってもらえないのか。
辛さを理解してもらえない悔しさ。
育児への不安や苛立ち。
ホルモンバランスの変化による精神的動揺。
様々なことが絡み合って爆発した状態だった。
そんな言い争いをしていると、でーたんが泣きだした。
“とーちゃん、かーちゃん!”
“うるさい!”
と両耳をふさぎ、繰り返し言いながら泣き続けた。
私達夫婦の言葉を遮るように、何度も何度も“うるさい!”と叫んでいた。まだ覚えたての言葉で…
そんな風になってからしか気づかない夫婦ふたり。
愚かなふたり。
喧嘩することは悪いことではないと思うのです。
ただ、でーたんが居なかったら己の愚かさに気づく時期がもっと遅かったのではないかと思うのです。
大切な大切な宝石を守るために、私達夫婦がもっともっと相乗作用で成長していかなければならない。家族を守る力は家族の中で育むしかないと思うのです。ここは、私が選んだ場所。もっともっと素敵な場所にしていこうと思うのです。鎹で繋ぎ止めようとしても、肝心な木材が腐っていたりひびが入っていたりしたら繋ぎ止められない。
子は鎹。
今のとまとは、この言葉が大好きです。
でーたん、産まれてきてくれて本当にありがとう。
子供は夫婦の仲を繋ぎ止めてくれるものだというたとえ。
鎹(かすがい)とは、材木と材木を繋ぎ止めるために打ち込む両端の曲がった大きな釘のこと。
インターネットで調べた簡単な解説です。
とまと(私)はこの言葉の意味を完全に勘違いしていました。そもそも、“かす貝”ってどんな貝?と思っていたから全くの勘違い。
冒頭の意味を知ってからの解釈も“子供にとって両親が必要だから離婚しないだけよ”という具合に、とても負のイメージを持っていました。
正直、あまり好きではなかった言葉。
“子供が居なかったら離婚”
捉えかたがひねくれていますね(笑)とまとの両親は小学生の時に離婚。夫婦や家族というものが何なのかってよく悩んだ昔。そんな私の道のりがこの言葉をそんな風に捉えた原因だったかもしれないな。
結論からお話ししますと…今のとまとはこう考えるのです。
子は鎹(かすがい)
結婚し、子供を授かる。子供の成長とともに、両親も成長する。
様々な壁にぶつかりながら、夫婦ふたり、家族皆で協力して皆の幸せを掴んでいこうと考えられるようになる。どうすれば家族皆が幸せで居られるのかと考えられるようになる。
子供を授かったことによって出てきた多くの壁を乗り越え、家族の絆が深まっていく事。それこそが鎹と表現される由縁。
育児は想像していたよりも遥かに大変で、色々な壁にぶつかります。夫婦喧嘩になることも沢山あります。この経験を重ねることで、夫婦のありかたが少しずつ変化します。どのように変化するのかは人それぞれでしょう。
とまとの場合はこんな風に…
限られた時間。些細なことでお互いにののしりあうことが如何に愚かなことか知る。温かい家庭を作り、家族が幸せに暮らすために自分がどうすればいいのか、役割を考える。相手よりも自分が頑張っているとか、自分の役割が多く偏っていていて不公平だとか、自分だけ辛い想いをしているとか…相手と比べて、または他者と比べて卑屈になっていた自分に気づく。他の家庭に惑わされず、家族で話し合い、自分達の形を作っていきたいと考える。
そして、自分がいる場所は他の誰でもない、自分で選んだ場所だと知る。
結婚する前から喧嘩が多かったとまとととーちゃん(夫)。結婚してからも相変わらず同じようなことで喧嘩をして、離婚するだの出で行けだのと感情のままに言い放つ。内容はお金の使い方のことだったり、態度だったり、家事の役割分担のことだったり、覚えてもいないような些細なことだったり。でーたん(娘)を妊娠してからは悪阻にも勝る幸せ気分で、少し落ちつき、そんなことが少なくなったように思う。
出産後、数ヵ月は睡眠不足や慣れない育児へのストレスを抱え必死で毎日を過ごすだけ。1年くらい経つとそれまでのストレスを爆発させるかのように、喧嘩が増えてきた。結婚して他人と暮らす難しさを知ったが、育児をしていて、自分のペースを保てない事が極度のストレスになると知った。
どうしてこんなに大変なことをわかってもらえないのか。
辛さを理解してもらえない悔しさ。
育児への不安や苛立ち。
ホルモンバランスの変化による精神的動揺。
様々なことが絡み合って爆発した状態だった。
そんな言い争いをしていると、でーたんが泣きだした。
“とーちゃん、かーちゃん!”
“うるさい!”
と両耳をふさぎ、繰り返し言いながら泣き続けた。
私達夫婦の言葉を遮るように、何度も何度も“うるさい!”と叫んでいた。まだ覚えたての言葉で…
そんな風になってからしか気づかない夫婦ふたり。
愚かなふたり。
喧嘩することは悪いことではないと思うのです。
ただ、でーたんが居なかったら己の愚かさに気づく時期がもっと遅かったのではないかと思うのです。
大切な大切な宝石を守るために、私達夫婦がもっともっと相乗作用で成長していかなければならない。家族を守る力は家族の中で育むしかないと思うのです。ここは、私が選んだ場所。もっともっと素敵な場所にしていこうと思うのです。鎹で繋ぎ止めようとしても、肝心な木材が腐っていたりひびが入っていたりしたら繋ぎ止められない。
子は鎹。
今のとまとは、この言葉が大好きです。
でーたん、産まれてきてくれて本当にありがとう。
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