とまとの本当のストレス
とまと(私)、毎日全力投球。
でーたん(2歳娘)を寝かせ、帰宅したとーちゃん(夫)のご飯を準備して、一息着くともうお風呂に入る力も出ない。
力を振り絞って洗顔、歯磨き。
お風呂もおもちゃの片付けも、明日にしよ。
お布団に入って、夜中はでーたんの中途覚醒やぐるぐるパンチとキックと頭突きで何度も覚醒。
でーたん(2歳娘)を寝かせ、帰宅したとーちゃん(夫)のご飯を準備して、一息着くともうお風呂に入る力も出ない。
力を振り絞って洗顔、歯磨き。
お風呂もおもちゃの片付けも、明日にしよ。
お布団に入って、夜中はでーたんの中途覚醒やぐるぐるパンチとキックと頭突きで何度も覚醒。
こんな生活がいつまで続くんだろ…
24時間ほぼ毎日、でーたんと一緒の生活。昼間は、かまってかまってのでーたんと、お散歩したり遊んだり。家事はロクに進まない。自分の身だしなみを整えるエネルギーが湧かずマスクでお出掛け。
専業主婦、向いてないんだろうな。
専業主婦、向いてないんだろうな。
なんてことを思いながら毎日が過ぎていく。
“疲れたー。とにかく疲れた。”
と口に出して、ふと考える。
何故疲れているんだろう。
何故疲れているんだろう。
私のストレスってなんなんだろう…
独身時代はナースとして働き、どんなに辛いシフトでも頑張れた。お仕事の時間外に課せられたことも徹夜でやりこなした。一日のお仕事が終わり何時間も残業した後に、一度帰宅して着替えてお化粧を直して同僚と呑みに行っていた。
今は何故入浴やお化粧をするエネルギーがないほど疲れているのだろう。
これまでこんな疲労感を体験したことがない。
これまでこんな疲労感を体験したことがない。
なんなんだろう…老い?ホルモンの変化?
疲労の蓄積?慢性的な睡眠不足?
私の甘えなの…?
これは私だけなの?!
疲労の蓄積?慢性的な睡眠不足?
私の甘えなの…?
これは私だけなの?!
でーたんと過ごす時間を大切にしたいという想いや、とーちゃんの転勤の関係もあり、仕事復帰せずに専業主婦として働いています。収入がないという後ろめたさはあります。しかし、でーたんを預けて働いていたほうがよっぽど楽だという想いもあり、それがとーちゃんへの愚痴となってしまう事もありました。
“家庭のことから離れられる時間があっていいよね”
“営業ならある程度自分で時間の調整も出来るでしょ”
“飲み会はお仕事って言うけれど、楽しい時だってあるでしょう。私はそんな時間も取れないのよ”
そして更には…
“お仕事だって、結局は自分がやりたいことじゃないの”
なんて具合に。
“家庭のことから離れられる時間があっていいよね”
“営業ならある程度自分で時間の調整も出来るでしょ”
“飲み会はお仕事って言うけれど、楽しい時だってあるでしょう。私はそんな時間も取れないのよ”
そして更には…
“お仕事だって、結局は自分がやりたいことじゃないの”
なんて具合に。
暫くは専業主婦…自分で、そして夫婦で話し合って決めた家庭の形なのに、何故か自分だけ不自由な気がしていました。お互いの実家から離れていて、協力が得られず、家庭から離れられる時間がない。とーちゃんだけではでーたんを見れない事もあり、なかなかひとりで外出出来ない。(とーちゃんにやり方を教えようとしても覚えたがらない)
何もかも計画通りに進まず振り回される。全身をぐるぐるに縛られて動けないのに、もっと働けと言われているような気持ちでした。
私…このままじゃ病気になる。
なんとかしなきゃ。
まずはとーちゃんに理解してもらいたくて、想いを話しました。時には喧嘩をしながら、何度も話し合いました。私としてはでーたんと離れる時間や休息をとることが必要だと考えていました。とーちゃんのお仕事がお休みの日に1時間でもひとりで外出する時間を貰える様に頼んでみました。
最初から、私の頼みを“甘え”だと言い切っていたとーちゃん。すんなりとはいかなかったけれど、時々外出させてもらえるようになりました。週に1時間…その時間はカフェで過ごしたり、ショッピングモールをぶらぶらしたりして過ごしていました。自分の行きたいところに行きたい時に動ける。トイレも行きたい時に行ける。新聞を読みたい時に読みたいところまで読み終える。自分のペースで歩ける。歩き疲れたら好きなところで立ち止まり腰かける。注文したジュースを最後までのみ終える。電話がかかってきたら電話をとってゆっくり話が出来る。
特別なことは何一つないのに、幸せな時間。楽しくお買い物をする時間が欲しいのではない。友人と遊びにいく時間が欲しいのではない。
ただ、普段当たり前に出来ていたことを当たり前に出来る時間が幸せだった。
ひとりでの外出…
私…このままじゃ病気になる。
なんとかしなきゃ。
まずはとーちゃんに理解してもらいたくて、想いを話しました。時には喧嘩をしながら、何度も話し合いました。私としてはでーたんと離れる時間や休息をとることが必要だと考えていました。とーちゃんのお仕事がお休みの日に1時間でもひとりで外出する時間を貰える様に頼んでみました。
最初から、私の頼みを“甘え”だと言い切っていたとーちゃん。すんなりとはいかなかったけれど、時々外出させてもらえるようになりました。週に1時間…その時間はカフェで過ごしたり、ショッピングモールをぶらぶらしたりして過ごしていました。自分の行きたいところに行きたい時に動ける。トイレも行きたい時に行ける。新聞を読みたい時に読みたいところまで読み終える。自分のペースで歩ける。歩き疲れたら好きなところで立ち止まり腰かける。注文したジュースを最後までのみ終える。電話がかかってきたら電話をとってゆっくり話が出来る。
特別なことは何一つないのに、幸せな時間。楽しくお買い物をする時間が欲しいのではない。友人と遊びにいく時間が欲しいのではない。
ただ、普段当たり前に出来ていたことを当たり前に出来る時間が幸せだった。
ひとりでの外出…
確かに、気分転換にはなるのです。
少しでも離れると、でーたんと再会した時に新鮮な気持ちにもなります。
少しでも離れると、でーたんと再会した時に新鮮な気持ちにもなります。
しかし、蓄積された疲労感はしぶとく付きまとう…
そんな時に、いとこが送ってくれた数名の育児ブログを読み、共感しました。
似たような想いを経験したかたばかり。
そこには“達成感がもてることはとても大切なこと”というような内容が綴られていました。
そう、達成感。
この言葉にしっくりきました。
いつもやることリストを書き出していましたが、毎日殆ど終わらずに一日が終わるのです。
翌日に出来るかといったらそうでもない。とーちゃんのお仕事がお休みの日には出来るかと思っていても、そうでもない。やらなければならない事はどんどん増えて、出来ないままで終わっていく事のほうが多かった。
でーたんとの毎日は、予想外のことばかりで思った通りに進む日なんてないのです。遊びたいという気持ちに応えてあげたいと思いながらも、やらなくてはならないことは日々蓄積していくのです。そのジレンマに襲われながら過ごしていました。
似たような想いを経験したかたばかり。
そこには“達成感がもてることはとても大切なこと”というような内容が綴られていました。
そう、達成感。
この言葉にしっくりきました。
いつもやることリストを書き出していましたが、毎日殆ど終わらずに一日が終わるのです。
翌日に出来るかといったらそうでもない。とーちゃんのお仕事がお休みの日には出来るかと思っていても、そうでもない。やらなければならない事はどんどん増えて、出来ないままで終わっていく事のほうが多かった。
でーたんとの毎日は、予想外のことばかりで思った通りに進む日なんてないのです。遊びたいという気持ちに応えてあげたいと思いながらも、やらなくてはならないことは日々蓄積していくのです。そのジレンマに襲われながら過ごしていました。
そう、
家事も育児も、どっちにも達成感がないままだったのです。“今日も出来なかった”と反省しながら寝る毎日でした。
家事も育児も、どっちにも達成感がないままだったのです。“今日も出来なかった”と反省しながら寝る毎日でした。
独身時代に無茶苦茶なお仕事をこなし、残業で寝る時間が殆どなくても、達成感がありました。一人一人に評価表があり、上司からの評価が分かりやすくなっていました。受け持ちの患者さんが回復に向かえば嬉しくてやりがいを感じ、何よりいつも“ありがとう”と言ってもらえるありがたいお仕事でした。
ナースのお仕事と比べると、家事や育児はそんな感情を抱きにくいのでしょう。
ナースのお仕事と比べると、家事や育児はそんな感情を抱きにくいのでしょう。
“達成感”を、感じる事で人は幸福感を抱く。また
、自信へと繋がり自己肯定感が生まれる。これが次や他事への意欲となり正のサイクルが生まれる。
、自信へと繋がり自己肯定感が生まれる。これが次や他事への意欲となり正のサイクルが生まれる。
今はこう思うのです。
私のストレス…
自分のがんばりを認めてもらえていないと感じたり、自分自身を中途半端に感じたりしていたこと。つまり私自信が、自身の頑張りを認められなかったことだったのかも知れない。
初めての子育て。初体験ばかりで疲労困憊な時期に転勤が続き、何もかも思うようにいかなかった。産後のホルモンバランスの変化からくる精神的な落ち込み。
近くに協力者が居ないため、自分だけはいつも健康で元気でいなきゃというプレッシャー。とーちゃんが本当の育児の大変さを理解してくれていないと感じるもどかしさ。
他にも沢山ある私なりの理由が、そのストレスを増大させていたのかもしれない。
他者を含めた周りの環境のせいにしようとしていたけれど、本質はそこにはない。
本当は自分のこころひとつだったのかも知れない。環境がそれを助長しただけ。
近くに協力者が居ないため、自分だけはいつも健康で元気でいなきゃというプレッシャー。とーちゃんが本当の育児の大変さを理解してくれていないと感じるもどかしさ。
他にも沢山ある私なりの理由が、そのストレスを増大させていたのかもしれない。
他者を含めた周りの環境のせいにしようとしていたけれど、本質はそこにはない。
本当は自分のこころひとつだったのかも知れない。環境がそれを助長しただけ。
朝、達成出来そうな目標を立てる。せいぜいひとつかふたつだろう。今日はそれが出来れば目標達成!
小さな達成感を積み重ねて、出来ることに眼を向けて、自分を認めてあげること。今の私にはきっとそれが必要なのです。
小さな達成感を積み重ねて、出来ることに眼を向けて、自分を認めてあげること。今の私にはきっとそれが必要なのです。
無意識のうちに、自分で自分を評価していたのですね。
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